・細胞診結果
二階の診察待合室は映画館のようにたくさんの座席がある。
その前面には中待合への入口がほぼ等間隔にある。
その合間の壁面上部には液晶モニターがまたすべて据え付けてある。
そこには、伊藤病院の品質方針なるものがくり返し流れていた。
第一条 個人の尊厳患者様が病を自ら克服する主体として、その生命、人格を尊重いたします。
第二条 平等な医療を受ける権利患者様の経済的・社会的地位、年齢、性別、疾患の種類に関わらず、平等な医療を受ける権利を尊重いたします。
第三条 最善の医療を受ける権利患者様の最善の医療を受ける権利、医師、医療機関を選択することができる権利、診療に関する情報交付を受ける権利を尊重いたします。
第四条 知る権利患者様自ら病状を理解するために全ての情報を得る権利、検査や治療の目的、方法、内容、危険性、予後および病状の経過に関して説明を受ける権利を尊重いたします。
第五条 自己決定権患者様の自由な意志により、治療や検査を選択し、また拒否する権利を尊重いたします。
(本当だな。本当だな。本当に私の希望や意思を尊重するんだな。)
すがるような思いで待った。
患者ごとにおよその待ち時間を示してくれるシステムがあり、あと30分以上はあった。一度一階へ行った。
玄関を入った付近に額がある。
『甲状腺を病む方々のために』
あまり広くはない玄関の患者の出入りはあまりにも多くので、気づかない人は素通りする。その毛筆の古さからして、初代院長先生が直筆で書いたのかなと思った。
「甲状腺を病む方々のために」
私はその創業者の慈悲心に触れ、目の奥が熱くなるのを感じた。
伊藤病院が繁栄したのは、おそらく甲状腺という「隙間」をねらったとかの経営上手ではなく、初代の真なる博愛によるのだろう。
姉がもう35年ほど前、20代前半の時、伊藤病院に入院している。私が姉の首の左右が妙に隆起していることに気づき指摘したのだ。本人すら気づいていなかった。
良性腫瘍との診断だった。高校生だった私は一度だけ見舞いに行った。夜になっていたせいかもしれないが、暗い四階建てのビルだったという記憶しかない。〔首にデキモノができてこんな渋谷に来て一人入院しなければならない〕不憫に思った。同時にどこかで、自分が健康であることに優越感を抱いた。
姉はその後、弱々しいかすれ声になった。今ではかすれはないが、大きな声は出ない。話している最中も時々つらそうにつばを飲み込んでいる。姉のようになってたまるか。
かなり奥の診察室に呼ばれた。男性だ。
「結果ですが、えー、悪性の疑いです。」
そして、手術としては峡部切除と気管前リンパ切除であることを告げられた。
「クラスは?」
C医師はなぜか急に不機嫌な顔になった。
「クラスというものはない。当院では細胞診の結果は、術後の生検では99%の的中率です。あえて言うならクラスⅤです。」
私はその言葉にひるみはしなかった。事前に調べて、細胞診の病理医の報告はクラス表現せずに記述による場合があることを知っていたこともある。もう一つは、むしろ感情的な口調で、患者に癌告知をするこの医師に〔この人はどうなんだろう?〕とその人間性を観察し始めたからだ。
今回、予め自分の希望をワープロで打って用意していった。
『核出のみで、リンパ切除はしないでほしい、その後のリスクはすべて請け負う』
それを見せた。C医師は、おそらく初めて患者からそのような要望を言われて、何が起こっているか理解できなかったようで、少しの間を置いて、それはできない、そういうことはやらないといった。
「それは、この伊藤病院としての見解なのですか?」
「そうです」
一応、手術の執刀はあなたかと聞いたら、多分違う、直前になって決まる、とのことだった。誰でもいいのだ。データだけ見て、初めて会う患者を誰がやってもいいのだ。なぜなら、『標準治療』でやることは決まっているから。マニュアル通りにやればいいだけだから。この病院は大人数を効率よく回すため高度にシステム化され、主治医というものがいるのかいないのかわからないような状態で、あげく執刀医まで日替わりランチで出てくるのだ。つまり、甲状腺乳頭癌とはそんなものなのだとも言える。
「お住まいは、えーと、○○○ですか。そうすると、こちらに○○○の先生も来ているので、その先生の方の病院へ紹介することもできますよ。」
「しばらく考えさせてください・・・」
AグループとBグループがあり、それはわかっていた。
○○○でなくとも、伊藤病院の医師名を検索すれば、他にどの病院に勤めているか、あるいは開業医かわかる。
一応、このC医師の見解が伊藤病院としての見解なのか、つまり他の医師は違う見解をしないのか、院長が診ても同じなのか?1Fの看護師が応じるという相談室という所へ行こうかと思ったが、やめた。看護師が医師の判断と違うことをいうわけないだろう。無駄な労力になる直感がした。また不愉快な気持になるだけだ。
結局、第三条や第五条は条件付きでしかなかったのだ。病院が認める範囲で、という。可笑しくもあり、悲しくもあった。
「甲状腺を病む方々のために」
額を尻目に出口へ向かった。そこには創業者の銅像もあった。その目を見て複雑な気持ちになった。
人混みの信号を渡る。地に足が着いていない。漂流している。
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